どんな時でもあきらめない

                                      平成21年1月25日  

 

 私は、平成6年3月21日に上左近税理士事務所に就職しました。当時はバブル崩壊により就職することが困難と言われた時代で、現在と同じように大学生が内定取り消しをされていました。

 上左近税理士事務所に就職して、はじめに上左近先生から「わからないことがあってもすぐに人に聞かず、自分で調べ考えてから私の所へ来なさい。」と言われました。もともと、私は税理士となり独立したい旨を上左近先生に伝えてお世話になることになったので上左近先生もその様に指導して下さったのだと思います。
 上左近先生から学ぶには、まさに「まねる」ことが一番勉強になりました。いわゆる「技を盗め」というやつです。まねることは、学ぶことであり、赤ちゃんが親を見てたくさんの事を覚えるのと同じだそうです。
 ある時、上左近先生が、「最近の若い人達は将来についてどのように考えているのだろうか、将来のことを考えずに生活していってこの先どうなってしまうのだろう。」と私に聞かれたことがありました。

 そして現在、新聞には100年に一度と言われる世界的な不景気となり、多くの方が職を失い、生活が困難となっていると書かれています。今になって考えてみますと、自分で調べ考え、そして人生設計を立てて生きていくことは本当に大切なことです。それを考えず人に任せておいて、いざ自分に不利な状況になったときに、何をしたら良いのかが分からなくなってしまうからです。
 これは、企業の経営においても言えます。経営者はもちろんですが、そこで働く職員も指示待ちの仕事をしていては、その企業はこの不景気の壁を乗り越えることはできないでしょう。もしかすると、あなたの会社の経営者は、職員とのコミュニケーションがとれていないのではありませんか?こんな時代だからこそ、一人一人が今何をしたら良いのかを考え、知恵を出し合って、心を一つにしてこの困難を乗り越えていかなければなりません。

 あれから13年、上左近事務所でお世話になり、現在税理士として仕事をさせていただいております。その上左近功先生が、今年の1月5日にお亡くなりになりました。私にとって本当に尊敬している方でした。

おやじの弁当
                                   平成21年2月25日
                                                           
 先日読んだ雑誌の中にこんな話がありました。

 100年に一度と言われる世界的な不景気と報道されているが、約70年前の日本では度重なる戦争と世界恐慌を経験してきた。その昔、我が国は今の若者達が考え及ばないほど貧乏であった。
 ある日、母の作る父の弁当を間違えて持って行ってしまった。
「おやじの弁当は軽く、俺の弁当は重かった。おやじの弁当はご飯が半分で、自分のにはいっぱいはいっており、親父の弁当のおかずは味噌がご飯の上にのせてあっただけなのに、自分のにはめざしが入っていた事を、間違えてはじめて知った。
 父子の弁当の内容を一番よく知っている両親は一切黙して語らず。肉体労働をしている親が子供の分量の半分でおかずのない弁当を持ってゆく。これを知った瞬間、『子を思う親の真の愛情』が分かり、胸につまり、その弁当すら食べられなかった。
 その感動の涙が勉学の決意になり、涙しながら両親の期待を裏切るまいと心に誓った」
 それに引き換え、戦後の私権の主張のみに急な世相の中では、「お父さんの弁当の中身は少ないが、お前のはちゃんとした弁当だから頑張れ」などと発言しがちであるが、それでは「恩、愛情の押し売りはごめんだ」と生意気な子供の言葉がはね返ってくるのがオチであろう。

 日本には昔からすばらし哲学が存在し、それを教え伝えていく教育がありました。戦前は知育、徳育、体育を勉強してきたそうですが、第二次世界大戦後、日本の教育は知育について重視するようになり、特に徳育については教えることが出来ない先生が増えてきたそうです。「徳を得る」が「得を得る」に変わってしまったのです。

 私も小さな事務所の経営者であり、また一児の親でもあります。子は親の鏡と言われます。子供に、努力するように口で言うだけでなく、黙って自分のやる姿を見せてやるように心がけております。また、企業においても従業員は経営者の鏡であり。自分が暗い顔をしているとそのままが写り、逆にどんなに辛いときでもやる気に満ちた顔をしていれば、子供や従業員にもそれが写るのではないでしょうか。