多数の責任者がいると、みんな無責任者になる

                                                    平成21年5月25日

 

 先日、私の通帳に豊田市役所から「定額給付金」が振り込まれました。いろいろと政府が考えたものの一つが現実に行われました。定額給付金が国民に給付されることが決定されるまでは「税金の無駄な使い方」として新聞紙上に掲載されていました。この政策が発表されたときの説明では「貧困層へ生活費の一部として給付する」とされていましたが、最終的には「景気対策への起爆剤」として、この定額給付金を利用して消費を促す方向への説明に変わってしまいました。さらに政府は15兆円の補正予算で、多くのことを検討しているようです。

 ちなみに、現在1年間の国家予算は約80兆円です。そして、国民のみなさんから徴収する税金は約50兆円だそうです。毎年約30兆円の赤字が発生しているのです。20年ほど前のバブル経済時においての税収は約70兆円だったそうです。もう一度バブル経済のような好景気になったとしても、約10兆円の赤字になってしまうのです。つまり、単純に景気が回復しても現在のようなやり方をしていては将来必ず経済破綻になることは誰でも分かることです。お金を配って消費を促すことより、良い物を長く使うよう物を大切にすることの方が本当は大切なのです。

 日本の中小企業のほとんどが、今年は赤字申告となるようです。経営者のみなさんもこの赤字申告は全て経営者の責任だと思わず、得意先との取引高の減少、材料価額の上昇、政治への不満、そして従業員さんのやる気の無さなど、自分だけの責任とは思っていないはずです。それと同じで、国の運営に対する責任を国会議員さん達も自分達だけの責任とは考えていないことでしょう。

 

 今から約100年も前に、大ベストセラーとなった「学問のすすめ」の中に次のような事が書かれています。

 政府は衆智者の集まる所にして、一愚人の事を行なふものといふべし

「日本の政府はおおぜいの智者が集まって、一つの愚行を演ずる場所と言える」

 人は自ら学問に励み、一人一人独立した考えを持ち、それに対する責任を果たさなければいけないそうです。今の現状に満足していないからと言って他人のせいにするのではなく、先ず自分から変えてみて、その事業に関わる全ての人が考え、そして責任を持つことが、継続して事業を行う上で必要なことなのです。