「難有り」を「有難い」に変える
                                             平成22年12月25日
 
 自分の手を、ぐんと広げても抱えきれない出来事が起きることがある。
 頂上がかすんで見えないほどの困難に遭遇したとき、登る前からあきらめたくなるときがある。しかし、何が起こったとしても、時間は絶対に止まることなく進んで行ってしまう。困難という山を見上げて、ただ呆然と立っているだけでも時間は止まることなく進んで行ってしまう。 

 毎月、TKC中部会が主催する研修会に参加しているのですが、その研修会の講師をされた上甲晃さんから、次の言葉を教えていただきました。

 「難有り」を「有難い」に変える「志」の力

 北海道のある学校では、講堂の正面に「難有」と書かれているそうです。「難有」とは「なんあり」と読むそうです。「難」が「有る」難儀や難しいこと、苦しいことが有るということです。しかし、その北海道の学校の校長先生はこの難が有る事は大変すばらしいことだと言われるのです。「難有」は逆から読むと「有難い」となる。困難を自ら受け入れ一つずつ乗り越えていくことで、「有難い」と思えるようになる。そんな志をもって今の困難を乗り越えなければならない。

 しかし、私には全ての困難を「有難い」と思えるほどの心は、未だ出来ておりません。どうしたらそれほどの強さを身につけることが出来るのか、色々な人とお話をさせていただきましたが、簡単に答えが出るものでは無いようです。

 生活をしていく中で起こる出来事、そのほとんどが「難」だと思います。何もせずして「良」な出来事が起こることはまず無いでしょう。そして、その人の心の強さによって、その出来事の重みが変わってきます。今では子供の頃の学校での出来事を、それほどの困難では無いと思えます。しかし、その時には自分の心がそれを受け入れるだけの強さが無かったから、どうしようもないほどの困難に思えるものなのです。
 
 私達が生活していく中で起こる出来事を、全て有難いと思えるようになるには、何年先になるのか分かりません。分かっていることは、時間は止まらないことと、過去を見て後悔ばかりして生活をするよりも、未来を見て自分を信じて生活をすることの方が、笑顔で生活をして行くことが出来るという事だけです。

 また新たな年を迎え、来年も多くの出来事に遭遇することになるのでしょうが、それら全てが、私に与えられた課題と思い、成長を続けて参ります。