井戸の湧き水
                                                              平成24年5月25日
                                                                               
 金環日食を観察してみて、自然の大きさを改めて感じ、さらに、こうした現象が起こる事があらかじめ分かっていることに感心しました。人間の知恵はすごいです。
厳しい現実を見せられた大震災にしても、いつもの食卓にあがる食べ物の恩恵も自然から与えられた物です。
 しかし、人間は知恵を出すことよって、この自然現象に打ち勝つための努力をしています。歩くよりも速く移動するために自動車や電車に乗り、空を飛べないから飛行機を利用し、遠く離れた人に声が届かないから電話を使う。こうした発明が人間社会に変革をもたらし、よい意味では発展し、悪い意味では犯罪を複雑にしました。法律においても、常に科学技術の発展とともに改正がなされました。常に新たな発明がされていくことも、実は自然現象の原理原則の内であると言われています。

 静岡県でお茶の栽培は、実は大きな公共事業がきっかけとなったそうです。静岡県には沢山の大きな川があります。昔はその川を渡るために、渡船や背の大きな方に担がれて渡っていましたが、それでも事故はつきものでした。そこで、交通の安全を守るために、この大きな川に橋が架けられました。しかし、この橋が架けられることとなった為に、川を渡す仕事をしていた人達は、一切仕事が無くなってしまったのです。そこで、地形を利用してお茶畑を始めることとなったのです。人のためにと思い始まった橋を架ける事業が、その事で、仕事を失う人もいるのです。
 この話で参考となるのは、公共事業の善し悪しではなく、社会に適応するために職業を変えた事です。橋を架けるのには計画から考えれば、大変長い時間がかかったはずです。その間に仕事を切り替えて、お茶畑として成り立つために考え工夫して事業として成功させ現在があるのです。

 「数頃(すうけい)の源なきの塘水(とうすい)とならんよりは、数尺の源あるの井水(せいすい))の生意窮(せいいきわ)まらざるものとならんには若かず」
大きなよどんだ溜め池よりも、わずか数尺でもいいので、常に新しい水が湧いて出てくるような、そんな井戸の方がいい。と言う意味です。
 それぞれ任されている仕事を考えてみても、少なからず機械化であったり、新たな分野からの参入による波が押し寄せているのではないでしょうか。そして、こうした現象は、高度な計算や、緻密に分析された結果から分かることではなく、普段仕事をしていて感じているはずです。

 上の言葉にもあるように、溜め池にいると底がよどんでいるのかが分からなくなってしまいます。分からないでいる事は大変怖いことです。だからこそ、沢山の情報を耳にするだけでなく、目で見て、手で触って温度を感じる。そこから、新たに水が湧き出るように情熱を生み出し、そして実行する。このような組織作りが出来たら、今後100年の計画をしても、決して計画倒れにはならないでしょう。人それぞれに任されている仕事は、一生の情熱を注ぎ込むのに惜しくはない仕事のはずです。