人に一歩譲る
                                                              平成24年7月25日

 名鉄名古屋駅で電車に乗車する時のことです。私がいつものように乗車しようとすると、後ろから来た女性に、横から割り込まないように注意を受けました。私も驚きましたが、周りの方も驚いていました。事情を話して分かってはいただけましたが、その女性の正義感に勉強することが出来ました。名鉄名古屋駅は少し複雑で急行に乗車したい人と特急に乗車したい人が同じ列で並ぶように出来ています。その為、電車がホームに入ってくると、そのまま待っている人を追い越して、電車に乗車することになるのです。ですから、仕組みを知らない人からすれば、並んでいる列を無視して後ろから割り込んで来たように見えた訳です。

 私達以上の世代の方々は、権利主張をしなかった事により損をしたことがある経験から、我が子には権利主張が出来るように教育をしてきました。その結果が、座席がいす取りゲームの様になってしまいました。我先にという教育を受けていれば、電車の座席は先に座った人が座るものだと覚えてしまったのです。しかし、本来は早い者勝ちではなく、席が空いていれば座るし、満員であれば全ての席が体の不自由な方の優先席となるのです。このことを教えていませんから、自分の事を優先し、権利主張ばかりがされ、さらには「お金を払っているから、何をしても良い」と考えがちな若者が増えてしまったのです。

 権利主張の背景には裁判の運営方法にも原因が有るようです。裁判は裁判官が司会者となり、原告と被告からの主張を整理し、それぞれの主張が食い違った点を証拠に基づき判断をしていく。そしてその積み重ねが最終的な判決となるわけです。つまり、裁判官は、原告と被告からの主張に基づいて裁判を進行し、主張がない点について疑問が生じたとしても調べようともしないことになっています。これを権利主張主義と呼んでいる訳ですが、この方法で行けば権利主張が先に立つ文化が育っていってしまうのは当然の流れなのです。

 この考え方は昔の日本には有りませんでした。日本人は江戸時代以前から哲学的な生き方を文化として尊重してきたのです。
 「終身路(みち)を譲るも、百歩を枉(ま)げず」
 一生、路を譲り続けたとしても、その合計は百歩にも満たないという意味です。つまり人に譲って失うよりも、見返りとして得るものの方が、はるかに大きいと言っているのです。

 時の流れが早い早いと言われ続けている今の時代だからこそ、チョット一休みして「お先にどうぞ」と言える人間になることは、その先を見つめるための前提となるのです。人は出来る限り寛容な心を持つことが良い結果につながるものです。